夏目漱石

夏目漱石と病気

朝日新聞社に入った漱石ですが、もちろん、優秀な漱石には、この誘いのほかにも、多様な仕事の声がかかりました。
当時は、京都帝国大学から英文科教職としての勧誘もあったので御座いますが、其れらを断り、作家一本で新しい道を歩み始めたので御座います。
其れが朝日新聞社に入社する事でした。

同年6月に、作家を専門の職業とした夏目漱石が手がけたはじめの作品である「虞美人草」の連載が始まりました。
この執筆の途中にも、度々、神経衰弱や他の病にも苦しめられたと言う事です。
1909年、学生時代からの親友、満鉄総裁である中村是公氏に招待され満州や朝鮮を旅行します。
旅行の記録として、「満韓ところどころ」と言うテーマで朝日新聞に連載されていました。

1910年6月、「三四郎」や「其れから」に続く作品で、前期三部作の3つ目にあたる「門」を執筆中、漱石は胃潰瘍になり入院してきました。
その8月には病気の療養の為に、伊豆の修善寺で療養しています。
ですが、伊豆でも更に胃疾になってしまい、そこで大吐血をして、漱石は危篤状態になります。

これは「修善寺の大患」と言われ、夏目漱石に関係いたします事柄で語り継がれる事件です。
ですが、この危篤状態になった体験は、夏目漱石がその後、手がける作品に影響する事になりました。
自身も「おもい出す事等」のなかで、この事件について書いています。
最晩の夏目漱石は則天去私が理想だと言っていましたが、天に則して私を去るというのは、この時の思いだったのではと言われています。
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