夏目漱石
夏目漱石 詳細関連エントリー
- 夏目漱石の作品「三四郎」その1
- 夏目漱石の代表作の一つである「三四郎」の内容についてお話します。「三四郎」の物語は題名の通り、三四郎が主人公です。
- 夏目漱石の作品「三四郎」続き
- 三四郎が未熟な人間であったからこそ、憐れみを感じたので御座います。三四郎に対して彼女は特別なおもいがあり、其れがいたわりと憐れみと言うものでした。
- 夏目漱石の作品「三四郎」その3
- 無意識の偽善者であった彼女は、自分の誘惑で三四郎を傷つけてしまった事を、後に自覚し、悔やんでいます。
- 夏目漱石の幼少時代その1
- 夏目漱石の幼少時代はどんな風だったのでしょうか。漱石は1867年(慶応3年)に生まれました。1月5日が彼の誕生日です。
- 夏目漱石の幼少時代その2
- 夏目漱石の本名は意外と知らない方が多いようです。少し似合わないとおもう方もいらっしゃるでしょうが、「金之助」が漱石の本名です。
- 夏目漱石の学生時代その1
- 漢学や文学を志すと言う理由で、この学校を2年で中退してきました。中退した漱石は、長兄の大助に怒られないよう、お弁当を持参し、日々、一中に通っているふりをしていたそうです。
- 夏目漱石の学生時代その2
- 大学予備門時代、共に下宿していた仲間には、後に満鉄総裁になった中村是公氏がいたそうです。はじめは少人数の下宿で自炊生活をしていましたが、その後は、10人と共同生活を送っていたと言う事です。
- 夏目漱石の学生時代その4
- 正岡子規は沢山あるペンネームの中の一つとして、漱石と名乗っていましたが、後に夏目金之助がこの漱石と言う号をもらうわけです。
- 夏目漱石の学生時代その5
- 学生時代に出会った俳人は、漱石に多くの刺激を与えたと言われています。あの有名な正岡子規と出会ったので御座います。
- 卒業後の夏目漱石その1
- 1893年、漱石は26歳の時、帝国大学大学院を卒業します。其れから、同年、10月には東京高等師範学校の英国語嘱託教師となりました。
- 卒業後の夏目漱石その2
- 結婚3年目、妻は慣れない環境によって、流産し、また激しいヒステリー症になったそうです。其れから、とうとうは自殺未遂とか、夫婦生活は幸せなものではなかったようです。
- 卒業後の夏目漱石その3
- 研究に没頭しすぎた夏目漱石は、良くも悪くも、其れまで付き合っていた留学生たちとの交流もなくなったそうです。挙句の果てには、文部省への申報書(留学中の報告書のようなものでしょう)も、白紙のままで日本に送ったそうです。
- 卒業後の夏目漱石その5
- 精神的に不安定な日々が続き、夏目漱石の心は病んでしまいます。このころ、漱石が友達に送ったレターのなかに、独りぼっちで淋しいと言った内容が書かれていたそうです。
- 夏目漱石の文鳥と孤独その3
- はじめは自分で文鳥の世話をしていた夏目漱石ですが、いつからか、文鳥の世話を他の人(多分、お手伝いさんか何方かでしょう)に任せきりにしてしまいます。
- 夏目漱石の学生時代その3
- 1886年に大学予備門は「第一高等中学校」と名前が変わりました。漱石はこの年、虫垂炎を患ってしまい、進級試験が出来ずに是公と共に落第したそうです。
- 夏目漱石が作家になるまで
- 漱石に英国語をみて頂きました尼子氏の子息は、1906年4月に附属中学校に入学出来ました。実際は、彼は後に稲田内科医局長(現在で言う東京大学第三内科)となるのです。
- 夏目漱石が作家になるまで続き
- 高浜虚子に勧められ、衰弱した神経を改善するため漱石は「吾輩は猫である」を執筆します。これが夏目漱石の処女作となりました。
- 夏目漱石と病気
- 1909年、学生時代からの親友、満鉄総裁である中村是公氏に招待され満州や朝鮮を旅行します。旅行の記録として、「満韓ところどころ」と言うテーマで朝日新聞に連載されていました。
- 夏目漱石と病気続き
- 漱石が大吐血して危篤状態になった事について、自身の作品のなかでその思いが現れていると言われています。しかも、「硝子戸の中」においては、漱石の本音が書かれているところもあるようです。
- 夏目漱石と時代背景
- 漱石は、日本が近代化を続ける中で、一体、どのようにしたら個人が幸せになれるか、これらの事をなんとなくかんがえていました。
- 夏目漱石の妻その1
- 彼女は家事が嫌いでした。家事をおろそかにして、漱石に怒られる事もあったそうです。鏡子はヒステリー持ちであり、漱石に当たる事も多々あったので、これも漱石の神経衰弱や、胃炎の要因だったと言う事です。
- 夏目漱石の妻その2
- 夏目漱石の家は、あまり幸せな家庭ではなかったと言われていますが、夫婦仲は其れほど悪くなかったと言う人もいます。その証拠になんと子供が7人も生まれているのです。
- 夏目漱石の妻その3
- 鏡子はあまりよい女性、よい妻ではなかったと言われていて、ある人は悪妻だったと言います。ですが、実際は彼女の性格は、確かに裏表が無かったそうです。そのような彼女なので、当然、孫、子供にも慕われる人でした。
- 夏目漱石のエピソード
- 夏目漱石が学位を辞退したエピソードは、当時、新聞でも取り上げられ、少しした流行になりました。では、この夏目漱石の態度を一般人はどう見たのでしょうか?
- 夏目漱石のエピソード続き
- 文学博士の授与を断ったあとも、夏目漱石は引き続き、あちらこちらの講演で話をしていました。博士号を断った時のエピソードを自ら、講演で話した時の事です。
- 鼻毛と夏目漱石
- 漱石は原稿を書いている時、自分の鼻毛を抜いては、原稿用紙に付ける癖がありました。偉大な文豪だから、其れも貴重なのでしょうが、その鼻毛の付きの原稿は、弟子の一人、内田百間がたいせつに保存していたと言う事です。
- 弟子が語る夏目漱石
- 夏目先生は、江戸っ子らしく、とってもお洒落な方でした。とくに服装にはこだわりと、好みがあって、出かける際は、とってもちゃんとした服装をしていました。
- 夏目漱石の文鳥と孤独その1
- カゴに閉じ込められている文鳥は、其れに対して不満な表情を見せずに元気にさえずっています。そのような文鳥に漱石はより一層、愛しさを感じているのでしょう。
- 夏目漱石の文鳥と孤独その2
- おもいがけず、ひょんな事からこうして文鳥を飼う事になります。なので、夏目漱石にとっては、其れは予想がつかないような、とっても珍しい事だったので、文鳥が与える影響も大きかった事でしょう。